藤崎孝敏の絵と詩
摘まれた花 50M
モンマルトルに居着いてもう永い。
いつも自分が今、立っている鋪道から去る日が、そのうち来るだろうことを感じて暮らしている。 モンマルトルにはぼくの予想もつかない生活の悲哀が通りの片隅に、カフェのテラスに、 9月ともなれば、カフェ・ナジ−ルからの夕暮れが、金色のビールの中に住み着く。 思い出すということは眺めることだ。しかし、時に人はそれに触れてしまう。 |
絵具皿の静物
日が暮れてゆく
吐血する空を 今日の日が沈んでゆく
私の吐息の中を 灰色の鳥が抜けてゆく
立ち並ぶ人々のような
煙突が遥か彼方を見送っている
今宵もまた 私の疎ましい
そして懐かしい思いが
深く沈んでゆく
Cauvine
待つ人
夜の沈黙に我一人
煙草の煙 ゆらゆりと
何処迄ゆくや部屋抜けて
懐かしき痛みの身に触れて
軋む瞳は彷徨える
夜の沈黙のわが想い
煙草の煙のごとく有れCauvine
私の過ぎし日のパリは花の都であった 花束をたずさえたのは私であった 幸福と悲哀がブーケであった 人々が過ぎる鋪道に私はたたずんだ 彼らは 私が過ぎゆく風だ思った 私は まことたたずむ風であった Cauvine |